おふゆ
雄冬
(98/9/23)

おふゆ
雄冬
昔、陸の孤島と呼ばれていた雄冬は、昭和58に国道が開通するまで山道しか通じていなかった。 しかも、最近まで冬場は通行止めになっていたために、連絡船が冬の唯一の交通機関であった。 しかし連絡船は一日一便しかなく、欠航も多かったので、 出かけるときは前もって何日も前に出発せねばならず、 病人が出てもすぐに病院に連れていけないような状態であった。 国道が一年を通じて通れるようになると、雄冬の生活は一変した。 車での移動が可能になり、医療機関に簡単に行けるようになったこと、 生活圏が拡大したことが利点として挙げられるが、一方で、過疎が進んだ、 密漁が増えたという欠点がある。特に過疎は深刻である。 例えば、村を担う青年団に30代の男性は3、4人しかおらず、 小中学生は9人しかいない。ちなみに人口は190人くらいである。
前回の静大生との旅行で何と静大生の男の子が運転する車が交通事故を起こしてしまいました。 運転手は軽傷だったのですが、助手席に乗っていた男の子は両足骨折の大怪我をしてしまい、 移動も不可能ということで名寄の病院に3ヶ月も入院することになってしまいました。 今回はそのお見舞いのため再び来道した静大生と合流。 ここ雄冬の廃校になった小学校で待ち合わせました。
(左)夜は夕食兼飲み会をしました。

(右)ストーブでちゃんちゃん焼きをすることになったのですが、 何とそのストーブは薪ストーブ。 そのため生まれて初めての薪割りをすることになりました。


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