投稿者: 池戸
投稿日時: 99/12/20 13:14:25
とうとうリーザが死んだという。かつて大学2年だったか3年だったか、俺が熱出し
てひっくり返った時に救急車をしてくれた因縁の車である。福田へ、すっかり車の陰に
隠してしまったが、あの時はありがとう御座いました。助りました。今思えば、何とも
無茶苦茶な要求をしてしまい、大変申し訳ない。
ところでリーザの件、何時かはこの日が来ると分かっていたとはいえ、俺にとっては
やはり、つらい瞬間だった。何時だったか、福田と山村が
「10年後とかにさ、「オーナー5人目」とかいってまだまだ札幌で走ってるかもな」
なんて言い合いをしていたことを、不思議としっかり覚えているものだから、失礼な
がら内心「それは無理だ」と思っていた事実があるとはいえ、ああした異常量の掲示板
書き込みが発生することとなってしまった。
薄々お気づきの方も多かったろうが、あの書き込みは、自己顕示欲やら気晴らしやら
、かなりの厚化粧がかかってはいたが、私の本音としては、口出すだけで、実際には何
の行動も起こしてやれなかったリーザへの、最後の言い訳があれである。修理要求を通
り越して、関大の友人を引っぱり出して「受け取れ」と要求までしたのも勿論、単なる
あがき。こちらも(無茶なことぐらいは)分かってはいたが、あの段階では、なんと言
われようが、あがかずにはいられなかった。
「周囲の関心が、自分のものと合わなくなっていく」というより「自分のものとは違っ
ていることに、日々気づかされていく」そんな流れの中では、何をすべきなのか?昔の
ものが、高校生活や学科生活のように、あっさりぶっちぎれるものなら何の問題もない
が、そうもいかない時もある。そんな時は、あがいてあがいて、疲れ果てることを使っ
て思考を止める、これが一番、気が楽だ。というのも、ほんの少しだけど、義理を立て
たような、そんな錯覚がついて回るから。
我ながら、はた迷惑で効率の悪いやり方だ。でもまあ、こんなコーナーだから、許し
てね。
最後にリーザへ。よくよく考えたけど、これで、許して下さい。
「思い出の数だけ、ありがとう」